命短しということ

ラストサンデイ、友人数名と一緒に代官山へお買い物に行った僕達は夕刻お酒を呑み、時には呑まれ楽しい一時を過ごしました。そして今日は月曜日。僕は2時限目にあと一回休んだら単位落っことすという非常に危うい状況にある必修の英語を控えていました。寝坊しました。イエス
この事を人に話したらお前はクズ以下だ、という意味の説教及び罵倒をたくさん浴びせられましたが果たしてそうか、と僕は思うのです。そりゃ単位落とすのはダメだし、僕だって落としたらめんどくさい事になるから嫌だと思う。でも何にも優先して単位が大事やねん、という思想に同意を示す事は僕には出来ないのであります。
僕はかつて暗黒の中学生時代を送り、ああ、こりゃ学校ダメだ、と気合一閃、高校進学という模範的ルートをぶった斬り、一躍プータロー界のスーパールーキーにのし上がった訳ですが、そこで僕を待っていたのはやはり暗黒のプータロー時代。その時、僕は初めて「何事も自分のやり方次第で楽しくもつまんなくもなるんやな」という事を知ったのです。おもしろきこともなき世をおもしろく、と言った人もいます。幸せは歩いてこないからワシから歩いていったるんじゃい、ボケ、という言葉もあります。
ですから僕が大検を取得し大学進学を決意した時まず決めたのは、「大学生になったらとにかく楽しい学生生活をしよう」という事でした。別に勉強をしている時だけが学生生活なのではなく、授業をサボっている時も大学生、休みに遊んでいる時も大学生、屁をこいている時も大学生、何にもしてない時も大学生なのです。大学生という肩書きをもって社会に存在する4年間トータルとして学生生活なのであり、僕の目的はその4年間をフルパワーで楽しむ事でありますから、先述の様に授業がつまらなければそんなものは打ち捨て、遊んだり呑んだり呑まれたりする事が楽しければ動物的本能でそっちの方向に駆けていくのは至極真っ当な行動であると言えます。
僕はこの4年間を意図的に刹那主義者として生きてみようと思っているのです。こういう事を言うとまた真面目な人達に罵倒されるんですが、就職がどうの将来がどうのと言った事は今この瞬間を生きる僕にとっては全くくだらない事でしかありません。例えば数あるオトナ的説教の一つに将来困るからというものがありますが、そういうのは多くの場合常識というマニュアルを読み上げているだけでリアルな感覚としての「困り」が伴っていなかったりするのです。常識というものにはもちろん統計的なそれなりの裏付けなどがあったりするものですが、しかしそれは決して絶対のものではなくあくまで情報の一つとして自分で咀嚼し判断する事が大切なのだと僕は思います。何を隠そう自分もかつてはクソ真面目なマニュアル少年でありましたが、そういう人生は別にそこまで楽しくもなければ正しくもありません。必要なのはマイライフをマイセルフで構築しようとするガッツです。DIYです。
当たり前の話ですが、一瞬というのは短いです。しかし人間はその一瞬しか生きられないのであり、一秒や一日や一年を生きているのではありません。今この文章を書いている一瞬も最期に息絶える時の一瞬も等しく一瞬です。命短し。時間というのは継続しているように見えて、実は今の一瞬と未来の一瞬があるだけなのです。だから未来の自分の為に今の自分を犠牲にするという事は別に全くの無意味でもないしかと言って正しい訳でもない。無数の選択肢の一つであり、それは「良い」とか「悪い」ではなく「人から良いと言われるか」「悪いと言われるか」という事でしかないのですね。ちょっと極論ですけど、そういう意味での刹那主義です。
大乗仏教の人達は利他とか言って「俺の素敵な善行でお前らを救済してしんぜるよ」なんて事を言いますが、結局の所人間は自分の欲望に基づいて動いているのであって、利他とか善行とかもそれをしようという心は即ち欲望なのです。無欲になりたいというのも欲なのです。皆が欲望を必死に満たそうとして結果的に社会というものが形作られているのであり、そんなら回りくどい事をせずに刹那的快楽を貪ってみるのもアリじゃないかと考えたのです。これはある意味長期的な視野なんですね。
存在意義という概念がありますが、僕が今まで書いてきた事は「なんだかんだ言ってそんなもんないよ」という事なのです。別にペシミスティックな事を言ってる訳ではなくて、色々考えた結果現段階ではそういう結論に至っていて、「なんだかんだ言って存在意義ってあるよ」という考えに則って毎日頑張っていらっしゃる方は別にそれでいいと思うんですが、僕に社会常識を説いてくる人は大抵の場合「存在意義あるじゃろがい、認知してよ!」という論調で迫って来るので僕としては「ないもん」と言うしか無くなってしまうのです。存在意義はないけど別に僕は一生命体として色んな欲望があるから、そんならそれを満たそうと考えた上で行動しているし、それは僕の責任の下で行われる行為であり、むしろそこの所の行動原理を自分以外の何かに求めてしまう方が人生損するんじゃないかなあと僕は思います。
単位を落っことした話から似非人生哲学まで話を昇華させましたが、言いたい事は非常にシンプルで単位を落っことしてもやらなきゃいけない楽しい事が俺にはある、という事です。僕へらへらする為にこの世に生まれてきたんだと思う。ある意味真面目で誠実です。死ぬまでいまを生きるわたし。グレイト。