日記

昨日は仲間達とアルコールを過剰摂取して酩酊してへらついた挙句そこら辺のジョナサンでぴいぴい言いながらオールナイトをしました。いまを生きるとはこういう事です。自分えらい。よくやってる。っつってその足で大学に成績表をもらいにいったらどういう訳かCという記号がたくさん並んでいました。僕は昨年度、学校の方から生活が困窮している人に授業料を半分返してくれる奨学金をもらっていて、今年度も当たり前の様な顔をしてもらうつもりだったんですけれども、それに申請するためには一定の成績を満たす必要があり、僕は驚いた事に満たしていませんでした。おかしい。こんなにえらいはずの僕が。何故。ってまあ授業半分以上サボってたからに他ならないんですけどね。才能だけじゃ評価はもらえないという事がよくわかりました。だからといって来年から勉強しようとかそういう気は一切無いです。単位取れてんなら全然いい。オールオッケー。とかっつって調子こいてられるのは寝てない時のテンションだからに違いないけど、それがいまを生きるって事だからそれでいい。齢十九にしてようやく僕が僕という人間の人生をやる中で解った事は、一生懸命頑張ろうとして一生懸命頑張ることは僕には絶対ムリ、という事です。この頑張る、という言葉は耐えるという言葉に置き換える事が出来ると思います。例えばよく受験勉強とかいって皆さんご苦労な事にやりたくない勉強を必死こいてやったりするじゃないですか。ああいうのが僕にはムリです。だってやりたくないんだもん。だから何が言いたいのかというとモチベーションというものは結局見出されるものであって、例えば僕がドラムスを頑張ってべちべちひっぱたいている時の頑張りは僕の内的な欲求にもとづいてひっぱたかれているのであり、「あーちゃんと練習してその結果上手くひっぱたけるようにならないとダメだからひっぱたかねば」とか言って己の主観、エゴを理屈で捻じ伏せ、歯をくいしばってひっぱたくという事は僕は出来ないししたくないのです。「頑張る」事は意思、意欲の結果なのであって、目標であってはいけない。別にいけなくはないけど僕のような根性無しには絶対ムリだなと思ったから僕はもうそういう事はしないようにしようと思った。だからホントに単位とか成績欲しいと思ったら僕も頑張って勉強すんじゃね? いまを生きる僕にはそんな果てしなき未来の事は想像も出来ませんが。とりあえずいまを生き過ぎて死ぬほど眠いのでもう寝ます。イエイ。