アイムヒアー、みたいな

ダメ人間を描いた話が好きです。というのは僕の敬愛する作家兼パンク歌手町田康の作品に顕著なのだけれども、仕事が出来ない、人と上手く話せない、一般社会に馴染めない、などのなんか残念な感じの障害を抱えた人に僕はすごくセンシティブになる。共感を覚えます。

鬱屈した気分を音楽が救ってくれる時があります。桜井和寿宮本浩次が僕の気付かなかった事を教えてくれたり、僕の気持ちを代弁してくれたりして、僕は少しだけ元気になります。それは一時的な苦痛の忘却でしかないかもしれないけれど、それのお陰で助かっている部分も少なからずあるのです。明日へ繋がる時もあるのです。

死の事をよく考えます。それは即ち生の事を考える事でもあります。死とは一切が無になる事だと僕は思います。一生懸命生きても不真面目に生きても死ねば一切は無です。こういうのは死の観点。就職について、将来について、家族の生活について、自分が死んだ後残された人達について、という事を考えるのは全て生の観点。

生の観点は感情豊かでとてもドラマチックなものです。自分の意思によって自分の人生を決定していく、一人称の生き方です。対して死の観点はもっと客観的で、第三者的な視点を持ちます。死後の世界とか魂とかいうのも生の観点から見た考え方で、死の観点はもっと完全なる無、ゼロを死と捉えます。生きている間に喜びを感じ、悲しみを感じ、最終的に死ぬ事によって感覚の一切が消滅する。だから今日死のうが100年後に死のうが根本的な意味は変わらないと思う。他の人はどうか知りませんが、僕はこういう死の観点に基づいて毎日生きてます。だからたまに虚無感を覚えます。こんな事は考えない方がいいんだろうな、という事を考えている。幸せを感じる事以上に幸せな事は無いんだろうな、と思ったりしている。悲しみを感じたりしている。なんて事をブログに書いたりして、はは、そうやって今日も生き長らえている。