停滞

ここ数日か数週間かはっきりしないが、あまり物を考える事が出来なくなっている。生が実感を失って非常に曖昧になっている。と言うとちょっとかっこいいけど、実際はもっとヌメッとしています。生活の中でどんな顔をしていればいいのかわからない瞬間がよくある。楽しいと思っても本当に楽しいのかよくわからないし、悲しいと思っても本当に悲しいのかよくわからない。感情の、自己の喪失です。と言うとちょっとかっこいいけど、実際はもっとメリッとしています。


人間の本質ってそういうごちゃまぜで複合的で一貫性に欠けるものなのだと思うし、そういう意味では以前よりもずっとリアリティのある思考が出来てきたのかもしれないと思う。でもそれってあくまで本質の部分の話で、理性の部分はやっぱり出来るだけクリアな思考をした方がいい気はする。これはいい、とかこれは悪い、とかこれが好きでこれが嫌い、とか。本当は好きだけど嫌いみたいなケースがあったとしても。つうか本当はそういう事しか無いと思うんだけど、ごちゃまぜなものをごちゃまぜなものとして理解してしまうと考えたり伝えたりするのが非常に困難になる。例えばちゃんこ鍋かなんかがあったとして、それを理解する時にはやっぱりにんじんとキャベツと豚肉となんとかが入ってちゃんこ鍋、という認識を無意識にでもしているんだと思うんだけど、でもちゃんこ鍋ってのはにんじんでもないしキャベツでもないものであってその辺りに理解と本質の誤差が生じる気がする。なんだこの例え。


例えば一人の人がいて「この人がいい人間か悪い人間か決めなさい」って言われたとする。誰にか知らないけど、まあ、課長とかに。で、それはつまりその人をトータルでいいか悪いか決めるって事で、僕はそれは非常に難しいと思うんだな僕は。簡単に言うとどんな人もいいことも悪いことも両方してる訳で、そう考えると例えば「この人は人を1万人殺したから悪い人です」と言い切る事も出来ないと思うんだ。まあ僕は言い切るけど。ってのは価値基準が個々人によって違うからですね。それは結局「これはいいと思う、悪いと思う」という私的感情です。という事はどういう事かと言うと、殺人、窃盗、強姦諸々の事を例えば世界中の全員が悪いことだと思っていたとしても、それは何十億人という人の私的感情がたまたま一致しただけで、悪だと決めているだけのことで、それは皆の気持ちが変われば悪でなくなる可能性もある訳だからつまり絶対的な悪というものは無いという事になります。まあ別に皆が悪だと思ってればそれで世の中は上手くいくんだけど、本当はそれが永久不変の悪ではない事や、半分の人は善だと思って半分の人は悪だと思っている様な事も世の中にはたくさんある訳で、そう考えると色々難しくて難しいと思う。