生きることが向いてないから前も後ろも向けないよ

類は友を呼ぶのか、あるいは最近の若い人は皆そうなのか知らんが、僕の親しい人はわりとダウナーでメランコリックな思考を持つ人が多く、ミクシィなどで同年代の人の日記を見ているとそういう内容を主としたものが比較的多い。それでも皆そこはやっぱり頑張って生きてこまそうとなさっている様子で、辛いけど前向きに、明日は頑張ろう、もっと素晴らしいはずの自分を探そう、といった事をよく書いているのだけれど、そこで感じるのは自分はそんな事全然思わなくなったなという事である。


以前はそんな事なかった。自分はこれこれこういう所がとても駄目だと思う。だからこうしようと思います。頑張ります。イエス。みたいな事を思っていたし、言っていた。だけどしばらく前から、そんな事言いつつ結局自分という人間の本質は変わらないし同じとこが駄目だし同じ反省をしてるな、という事に気付いてから、直そうとかする事をやめた。それが良いか悪いかはともかく、そういう理想的な模範的な画一的な人間像と自分を同質のものにしようとする事は無駄だと思ったし、絶対無理だと確信したのだ。なのでやめた。


それを目指す事で完璧ではなくても現状からなんらかの改善があるのは間違いなく、前述の様な人はそうやって頑張ろうとする事が実る実らないに関わらず明日への活力になっていてとてもいい。だったらそれをやればいいじゃん、という話なのだけれども、絶対無理だと解るとそんな途方も無い努力をする気は起きなくてぼくにはとてもできない。かと言って駄目なままでいるのも駄目なので頑張らなければならないのだけれども、頑張っても絶対無理なのも絶対なので全体的にやる気が出ない。頑張らなきゃならないのに頑張るべき目標を失った状態、いわば僕はゴールの無いアレを続けるアレです。上手い例えが見つからなかった。まあそんな感じ。


一生駄目なままなら今すぐ死ねばいいのにとわりと真剣に思う。でも何故死なないかと言うとまだこの生にいくつかの未練があるから。その全部の未練が片付いたら意外と僕はあっさり死ぬかもとも思う。そんで多分その未練は死ぬまで片付かないんだろうなと思う。そういう終わりの無い思考のループが地球と一緒にぐるぐる廻っている。自転している。