痛いのがキライ

年の瀬だから1年を振り返ろう、という気持ちは特に無いのだけれども今年は自分が成人して最初の年であり、だからって事はないだろうけど色々思う事も多々あり、まあ結構すごい変化とかもアレだった1年でした。
最近よく思ったり書いたりしている大人になる事をとても感じました。自分や他人、周りの社会などに対して知らなかった部分、そこは今まで僕個人の夢や理想や空想や願望で埋められていたのだけど、そういった部分に直接的に踏み込み、知る事によって現実に書き換えられていく感覚。そこには想像していた以上の失望と堕落がありました。解りやすい例を挙げてしまうと、「まあなんだかんだ言ってなんとかなるだろ」と思っていた学業の留年がほぼ決定的になった事とか。まあそれはもういいんすけど。
とにかくそういう覚悟が足りなかった部分の現実の過酷さ、厳しさが尋常ならざるもんで、うわあもう死のうかなと思ったりもして、かつ死ななかった事。死ぬほど死にたいと思っても生きちゃう自分のショボさ、臆病さってのがやっぱりあって、みんなはどうか知らんけど僕はちょっと本気出せば死ねたりするんじゃね、とか思う部分もあったので、そういう死ねない自分もまた残念でがっかりして、がっかりしたから死にたいけど死ねなくてホントにがっかりしました。
最悪もうどうしようもなくなったら死のう、みたいな甘えみたいなのがあって、でもそれが実は実現する事のないただの逃げでしかない事に気付くこと。そしたら僕はまた新しい逃げ道を見つけるんだろうけど、またいつかそれが逃げであることに気付いて延々続いていくんだと思う。つうかそういう事を皆やっている。気付いてない人もいるけどやってる事はそのまんまそれだ。
最近僕はなんか嫌だなあって気分の時結構自分が殺される想像をしたりして、例えば僕が誰々にすごい刺し殺される、みたいな事を考えたりして、心理学的に「嫌な自分を想像で殺して元気になる」みたいななんかあるのか知らないけど、そういう事を考ると実際ちょっとだけ気持ちが楽になると言うか、意味もなく罪滅ぼしをしたような気になったりして、でもそういうのは逃げでしかないなあと思ったのです。だって実際刺し殺されたらすごい痛いし、それは多分僕はすごい痛くて嫌だなあと思うから「刺し殺されたい」というのは本当の気持ちとは言えないしリアリティが無い。結局痛いのが嫌いなただの臆病者でしかないのが真実なのです。
そういう事を思ったので書いておきました。
あとたまたまそういう話を書いたけど、俺別にそんな死ぬ事ばっかり考えてる人じゃねえよ。よろしく。