ただ法のみを求めてみたところ

本日は麻疹よりもはるかに恐い病気であるところの五月病に打ち克つべく、勇気を振り絞って大学に行ったというのは今日が自分のゼミ発表の日であったからである。

5限のゼミに向けて朝10時から必死に意味不明の漢文を読み解きなんとかレジュメを作り上げ、ぼそぼそと陰気に発表をしたところ、教授の方から「どっかの本から引いてきたみたいに上手な文章やね」とお褒めの言葉をいただき、自分はああ嬉しいなと素直に思った。そして、勉強って楽しいな、これからは学校に行くのが少し楽しみになったな、というような事を全く思わなかったというのは即ち現実というやつである。

人生は映画や小説の様に小奇麗にまとまったものではない。だからこそ人は映画や小説に熱を上げ、また憧れるのである。


数日前から喉の奥に何かが張り付いている様な異物感があり、何かの病気か何かだったら恐いな、と危惧している。煙草のせいとかもあるんかな、と思って控えようかな、と思って結局控えていない。

いつも感情は曖昧なまま、僕達は老いて死んでいくのだ。極めて刹那的な存在だと思う。